『本』から『活きるヒント』を学ぶ!

道が見つからないところには、道を切りひらくという手段が残されている!

 

10代の後半に、とにかく自分に自信がなく、

悩んだ時期がありました。まぁ、今思うと自我

の目覚めだったんでしょうが…。

いろいろと本を読みあさりました。

次郎物語』の作家である下村湖人さんが書か

れた『青年の思索のために』という本を手に取

りました。

 

昭和30年に初版発行という二昔も前のもので

あったため、文章表現が難しかったのですが、

作者が伝えたいことは、およそ判りました。

とくに後半の章『心窓去来』にあるいくつかの

教訓は今でも覚えていて、まるで自分から生じ

た言葉と勘違いするくらい活きる上でのヒント

というか指針になっています。

 

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今朝、この本を書斎の本棚に並べていたことを

思い出し、ぱらぱらと頁をめくってみました。

ネタバレで申し訳ないですが、今でも心に残っ

ていることの中から3つを選んで紹介します。

 

どんなに険阻な道でも、ないよりはましであ

る。全然道が見つからないほど苦しいことは

ない。しかし道が見つからないということ

は、われわれにとって最後の場合ではない。

道が見つからないところには、道を切りひら

くという手段が残されているのだから。

 

自分の長所をのばすことに夢中になってい

る人は、自分の欠点をかざることに決して

心を労しないものである。

 

悲運におち入ってやけになる人がある。

下の下である。やけにはならないが、弱々

しくその境遇に流される人がある。下の上

である。世を怨み、ぶつぶつ不平をならべ

ながら、ともかくも建直しに努力する人が

ある。中の下である。世を怨んだり、不平

をならべたりはしないが、意地を張り、歯を

くいしばって努力する人がある。中の上で

ある。すんだことはすんだこととして極めて

楽天的に、新たに第一歩からふみ出そうと

する人がある。ここいらになるともう上の部

である。しかしその楽天が、ただの気分で

あるかぎり、それではまだ危ない。そんな気

分は、二度三度と打撃がつづいた場合には

とかくくずれがちなものだからである。

悲運に処する最上の道は、悲運の中に天意

を見出して謙虚に自己を反省するとともに

それを一つの恩寵として感謝する心になる

ことでなければならない…。

 

いかがでしたか、何か心に残れば幸いです。

 

            本日は、この辺で。