ひたむきで、献身的な妻の心根にふれて!
前回は、妻と初めて出逢った高校1年生の頃の
話でした。もう少し、高校時代の想い出にふれ
たいと思います。
妻はこつこつ努力をする娘でした。
試験が近づいたある日、妻が苦手な数学を教え
てほしいと云ったので、図書館で判らないとこ
ろを教えました。
きっと家で猛勉強したのでしょう。テスト結果
は100点近くでした。私より良い点だったと
覚えています。
妻は絵がとても上手くて、画家になりたいと思
ったこともあったそうです。美術の授業では、
油絵の模写が素晴らしく、今も妻の実家のリビ
ングに飾られていて、人が訪れる度に褒めてく
れているそうです。
手先が器用で、何でも卒なくこなすのですが、
本人はいたって謙虚でよく『器用貧乏なだけ』
と云ってました😁
そんな器用な妻ですが『編み物や縫い物は嫌い
面倒くさいから』と云ったことがありました。
私は『女の子はそういうこともやらないとね』
と、今の時代では禁句なことを云いました。
数ヶ月経った私の誕生日に、妻が大きな袋包み
を渡してくれました。
中を開けると、なんと手縫いのクッションが入
っていました。それもパッチワークで一針一針
細かく、丁寧に縫われていました。
思ってもみなかった贈り物への嬉しさと、私の
ために嫌いだったことにも、こつこつと努力し
て成し遂げる妻のひたむきさが、一針一針から
伝わり、とても愛おしく思いました。
妻の父は小学校の先生で、私達が高校2年の時
に私の母校に転勤となり、私の街に引っ越して
きました。
毎朝、実家の近くで待ち合わせて自転車で通う
ようになりました。部活がない日には教員住宅
までの帰り道をペダルをこぎながら、いろいろ
な話をしました。
高校2年の冬、私は激しい腹痛になりながら、
全国模試を受けていました。正露丸を飲んでも
回復せず、病院へ。なんと虫垂炎で即入院する
ことに。
携帯もない時代、妻に連絡が取れず翌朝に。
氷点下20℃を越える極寒の中、妻が待ち合せ
場所に凍えながら待ち続けていたそうです。
入院を知った妻は、毎日見舞いに来てくれて、
私の勉強が遅れないかと心配してくれて、私の
クラスにいる部活の友達から授業ノートを借り
て、要点をまとめ直したものを毎日見せてくれ
ました。そんなけなげで、献身的な妻の心根に
ふれて、想いが一層深まりました。
高校生活も終わりに近づき、お互いの進路につ
いて話すようになりました。
妻は臨床検査技師になりたいと現地まで行って
調べてみましたが、志望倍率が高くかなり難し
努力家で、献身的な妻にぴったりな進路だと思
いました。
3月の暖かな日差しのもと、私達はそれぞれの
道へ進む日を迎えました。
妻は北へ、私は南へ。駅のホームでの別れ、
ドアが締まり、こらえていた妻の顔がゆがんで
だんだん小さく、遠くなっていきました。
それが250キロ離れた遠距離恋愛の始まり。
いつも隣にいてくれたから、今の自分がある。
人生の転機、あの時があったから今がある。
本日は、この辺で。