人生の転機、あの時があったから今がある (その8)

ひたむきで、献身的な妻の心根にふれて!

 

前回は、妻と初めて出逢った高校1年生の頃の

話でした。もう少し、高校時代の想い出にふれ

たいと思います。

 

妻はこつこつ努力をする娘でした。

試験が近づいたある日、妻が苦手な数学を教え

てほしいと云ったので、図書館で判らないとこ

ろを教えました。

きっと家で猛勉強したのでしょう。テスト結果

は100点近くでした。私より良い点だったと

覚えています。

 

妻は絵がとても上手くて、画家になりたいと思

ったこともあったそうです。美術の授業では、

油絵の模写が素晴らしく、今も妻の実家のリビ

ングに飾られていて、人が訪れる度に褒めてく

れているそうです。

手先が器用で、何でも卒なくこなすのですが、

本人はいたって謙虚でよく『器用貧乏なだけ』

と云ってました😁

 

そんな器用な妻ですが『編み物や縫い物は嫌い

面倒くさいから』と云ったことがありました。

私は『女の子はそういうこともやらないとね』

と、今の時代では禁句なことを云いました。

数ヶ月経った私の誕生日に、妻が大きな袋包み

を渡してくれました。

中を開けると、なんと手縫いのクッションが入

っていました。それもパッチワークで一針一針

細かく、丁寧に縫われていました。

思ってもみなかった贈り物への嬉しさと、私の

ために嫌いだったことにも、こつこつと努力し

て成し遂げる妻のひたむきさが、一針一針から

伝わり、とても愛おしく思いました。

f:id:Squid_Angler_55:20220330110416j:plain

妻の父は小学校の先生で、私達が高校2年の時

に私の母校に転勤となり、私の街に引っ越して

きました。

毎朝、実家の近くで待ち合わせて自転車で通う

ようになりました。部活がない日には教員住宅

までの帰り道をペダルをこぎながら、いろいろ

な話をしました。

 

高校2年の冬、私は激しい腹痛になりながら、

全国模試を受けていました。正露丸を飲んでも

回復せず、病院へ。なんと虫垂炎で即入院する

ことに。

携帯もない時代、妻に連絡が取れず翌朝に。

氷点下20℃を越える極寒の中、妻が待ち合せ

場所に凍えながら待ち続けていたそうです。

入院を知った妻は、毎日見舞いに来てくれて、

私の勉強が遅れないかと心配してくれて、私の

クラスにいる部活の友達から授業ノートを借り

て、要点をまとめ直したものを毎日見せてくれ

ました。そんなけなげで、献身的な妻の心根に

ふれて、想いが一層深まりました。

 

高校生活も終わりに近づき、お互いの進路につ

いて話すようになりました。

妻は臨床検査技師になりたいと現地まで行って

調べてみましたが、志望倍率が高くかなり難し

いため、赤十字看護学校に決めました。

努力家で、献身的な妻にぴったりな進路だと思

いました。

 

3月の暖かな日差しのもと、私達はそれぞれの

道へ進む日を迎えました。

妻は北へ、私は南へ。駅のホームでの別れ、

ドアが締まり、こらえていた妻の顔がゆがんで

だんだん小さく、遠くなっていきました。

それが250キロ離れた遠距離恋愛の始まり。

 

いつも隣にいてくれたから、今の自分がある。

人生の転機、あの時があったから今がある。

 

            本日は、この辺で。