『わたしの美しい庭』を読んで!

『自分は、自分でいいのだ!』と想わせてくれる物語

 

『凪良ゆう』さんの小説『わたしの美しい庭』

を読みました。

ネタバレしますが、冒頭を少し紹介しますと…



両親を亡くした10歳になる『百音 (もね) 』は

お母さんの元夫の『統理 (とうり) 』が引き取り

育てている。

 

ふたりは、屋上に『縁切り神社』と『庭園』が

あるマンションに住んでいて、統理は、管理人

兼、翻訳の仕事をしている。

 

『変わっている』『かわいそう』と噂する人も

いたが、ふたりは、毎日を愉しく活きている。

 

このマンションに住む『路有 (ろう) 』は、統理

の同級生で、屋台バーのマスター。

朝ご飯を作って、3人一緒に食べるのが、日課

であった。

 

自分が、LGBTであることを隠しだてしない

路有を、統理も百音も、あるがまま受け入れて

暮らしているのです。

 

住人のもう1人『桃子』は、学生の頃、恋人を

亡くし、適齢期を過ぎても、忘れられずにいる

ことを母にも明かせず、見合い話を持ってくる

周囲に、活きづらさを感じる毎日。

 

こうした中、縁切り神社には、断ち切りたいと

様々な事情を抱えた人々が、訪れるのでした。



心に留まったところを引用すると…

隣に誰もいないこと、かわいそうな人と、
いう目で見られることが怖かった。
けれどそういうわたしを、わたしだけは、
受け入れてあげようと思う。
誰かに証す必要なんてなく、
わたしはわたしを生きていけばいい。

『ぼくたちは同じだから仲良くしよう』
より、『ぼくたちは違うけど認め合おう』
のほうを勧めたい。
『それでも認められないときは黙って
通り過ぎよう』だな。
『無駄に殴り合って傷つけ合うよりは、
他人同士でいたほうがまだ平和』

私自身も、5年前に妻を亡くした自分のことを

『かわいそう』と観られたくないという想いが

あったことに気づきました。

 

『多様性』という言葉が叫ばれ始めたとはいえ

『世間体』と違うことに対し『変わっている』

『かわいそう』と思われても、『自分は自分で

いいのだ』という人として当たり前のことを

想わせてくれる物語でした。

 

            本日は、この辺で。