『親の七光り』ならぬ『姉の七光り』?

『無知』を認めて、『愉しみ』を味わう!

 

『親の七光り』という例えがありますね。

偉大な親から素質を受け継ぎ、才能に恵まれて

いる人は良いのでしょうが、おおかたは、周囲

の期待に応えきれず、挫折を味わっている人の

例えに使われていますね。

 

私は小学生の頃に、親ならぬ『姉の七光り』を

経験しました。ちょっと、触れてみますと…😓

 

姉は、幼い頃から音楽に興味があって、幼稚園

の時に『エレクトーン』を習い始めました。

やがては、講師の道に進むのですが、小学生の

高学年になると、学校の吹奏楽クラブにも入り

アコーディオンを弾いていました…🎵

 

私はというと、音楽を聴くのは好きでしたが、

授業に興味がなくて、音符のひとつも読めない

ありさま…😓

多分に私に潜む『あまのじゃく』の性分が災い

して、姉の好きなことから、目をそらしていた

のだと思います…😅



それでも小学3年の時に、担任から『鼓笛隊』

を勧められて、小太鼓を叩いていました。

まぁ太鼓なので、楽譜は読めなくとも、テンポ

さえ覚えればなんとかこなせていたので、音符

知らずは、そのままに…😓

 

ところが、そんな私に悲劇がやってきます。

小学校では毎年秋に『学芸会』なる行事があり

生徒は『遊戯』か『劇』か『音楽』のどれかを

選んで、父兄を前にして、発表に臨むのですが

3年生の時に、担任から『○君は音楽ね』と、

一方的に云われ、『鉄琴』を叩くことに…😣

それでも耳で音程を覚えて、何とかクリアした

のですが、4年生の時には『木琴』を演奏する

ように云われ、とうとう『楽譜読めず』を露呈

する羽目に…😱周りの視線が気になり、とても

恥ずかしい想いをしました…😭

幸い音楽の先生が優しくて、懇切丁寧に教えて

くれて、4年目にしてようやく『楽譜』が読め

るようになりました…😁

 

結局、以降は『音楽』ばかりだったのですが、

6年の時は、なんと友達と2人で、『木琴』を

デュオ演奏する場面があり、友達は上のパート

私は下のパートとなり、放課後2人で残って、

必死に練習をしました。

本番はとても緊張したのですが、間違わずに、

演奏し終えて、大きな拍手を浴びて嬉しかった

ことを覚えています。

 

きっと先生は、『音楽が得意な姉の弟』という

『思い込み』で、私に4年間『音楽』をさせた

のでしょうね。

そういう『姉の七光り』に、当時は悩まされま

したが、あの苦い経験があったから、『楽譜』

を覚えて、人前で『音楽を演奏』する愉しみを

味わうことができたのだと思います。

『無知』を認めて、『愉しみ』を味わうことが

できたと…😀

 

そういえば、長女も小学4年の時に『鼓笛隊』

のクラブ活動をしていて、パレード行進の後、

駅前の野外ホールで中太鼓を叩いていました。

小学生の頃の私 (左下) と、色違いのマーチング

帽子に衣装を着て、太鼓を叩く我が娘 (右下) を

観て、驚きました。



まぁこれは『親の七光り』ではなくて、生え際

が後退した父👴の愛娘なので…😅

さながら『親の頭光り』ですかな…😁

 

            本日は、この辺で。