義父の温かい心遣いにふれて!
私の義父は、小学校の先生でした。多くの生徒
から慕われて『カバ羊羹』というあだ名で呼ば
れていたそうです。
というのも、大柄の身体に面長で、甘いものが
大好きで、辛口の日本酒と一緒に羊羹を食べる
という特技(?)の持ち主だったからです😁
結婚の許しを乞いに行った時は、一言二言お願
いしただけで、すぐさまテーブルにお酒と肴が
出てきて、義父の饒舌な話を訊いているうちに
だんだん酔ってきて、アイスクリームをおかわ
りしたことすら覚えておらず、タクシーと電車
を乗り継いでなんとか帰りました。
私が帰った後、義父は酔い覚ましに表に出て、
妻に『本当に悲しい時は、涙が出ないものだ』
と、しみじみと話していたそうです。
そんな義父ですが、初孫を抱いた瞬間から、
スイッチが入ったようで、帰省している間中、
孫から離れず、ずぅーと抱いていました。
孫ができる前は、同僚が孫自慢するのを呆れて
いたのですが…😁
ある時、孫が眠っている間に裏で工事をしてい
たらしく、うるさい!と市役所に苦情の電話を
したり、とにかく『孫、命!』の人でした😀
その初孫が4歳になった時に、義父の実父、曾
祖父の50回忌の法要があって、多くの親戚が
集まり、法要後に1泊の旅行をする機会があり
ました。
私にとっては、ほとんどの人が初顔合せでした
が、義父が集合写真やビデオを撮るように役目
を与えてくれたお陰で、親戚と話す機会が増え
て、すぐに顔を覚えて、仲良くなることができ
ました。
これも義父が、引っ込み思案の生徒に役割を与
えた経験から講じた心遣いではないかと。
九州に転勤した頃に、義父の家の近くに出張す
ることがあって、一晩泊めてもらうことに。
仕事が終わり家に着くと、たった1日の滞在に
もかかわらず、私のためにサンダルを買ってお
いてくれて、普段は寝る前の入浴なのに義母が
お風呂を沸かしてくれていて、お酒に、好物の
しめ鯖やたくさんの肴を出してくれる、至れり
尽くせりのおもてなしでした。
だんだん実家よりも、義父の家の方がくつろげ
るようになりました。
義父は、私達をいつも応援してくれて、転職を
相談した時にも『それはいい、応援するよ!』
と優しく背中を押してくれました。
妻の病が進行してしまい、緩和ケアが必要にな
ったため、義父の家で在宅介護をさせてもらい
ました。
介護の甲斐もなく、妻が息を引き取った時には
涙しながら『待ってろよ!すぐに(逢いに)行く
からな!』と、何度も。
葬儀を終えて、私が自宅に戻ろうとすると引き
留めてくれて、『遠慮しなくていいよ、親子で
しょ?』と。
とっても温かくて、有難い言葉でした。
その義父が、昨年末に亡くなりました。
云っていた通り、すぐに妻に逢いに逝ってしま
いました。こんな有言実行はつらすぎます。
昨年は生涯で最もつらい年でした。
春に妻を失い、姉を失い、そして義父までも。
心にぽっかり穴が開いてしまって、しばらく、
何をしても、何も感じませんでした。
義父の遺影は、お嫁さん(義娘)から貰ったお気
に入りのピンクのシャツを着て、笑顔でピース
をしていました。
最期まで人を悲しませたくない、笑わせてあげ
たい、そんな優しい義父の想いが伝わってくる
ようでした。
義父さん、これまで本当にありがとう。
貴方に出逢えて、いつも応援してくれて、励ま
されて、支えられ、今の私達家族があります。
ありがとうございました。
人生の転機、あの時があったから今がある。
本日は、この辺で。