人生の転機、あの時があったから今がある (その6)

義父の温かい心遣いにふれて!

 

私の義父は、小学校の先生でした。多くの生徒

から慕われて『カバ羊羹』というあだ名で呼ば

れていたそうです。

というのも、大柄の身体に面長で、甘いものが

大好きで、辛口の日本酒と一緒に羊羹を食べる

という特技(?)の持ち主だったからです😁

 

結婚の許しを乞いに行った時は、一言二言お願

いしただけで、すぐさまテーブルにお酒と肴が

出てきて、義父の饒舌な話を訊いているうちに

だんだん酔ってきて、アイスクリームをおかわ

りしたことすら覚えておらず、タクシーと電車

を乗り継いでなんとか帰りました。

私が帰った後、義父は酔い覚ましに表に出て、

妻に『本当に悲しい時は、涙が出ないものだ』

と、しみじみと話していたそうです。

 

そんな義父ですが、初孫を抱いた瞬間から、

スイッチが入ったようで、帰省している間中、

孫から離れず、ずぅーと抱いていました。

孫ができる前は、同僚が孫自慢するのを呆れて

いたのですが…😁

ある時、孫が眠っている間に裏で工事をしてい

たらしく、うるさい!と市役所に苦情の電話を

したり、とにかく『孫、命!』の人でした😀

 

その初孫が4歳になった時に、義父の実父、曾

祖父の50回忌の法要があって、多くの親戚が

集まり、法要後に1泊の旅行をする機会があり

ました。

私にとっては、ほとんどの人が初顔合せでした

が、義父が集合写真やビデオを撮るように役目

を与えてくれたお陰で、親戚と話す機会が増え

て、すぐに顔を覚えて、仲良くなることができ

ました。

これも義父が、引っ込み思案の生徒に役割を与

えた経験から講じた心遣いではないかと。

 

九州に転勤した頃に、義父の家の近くに出張す

ることがあって、一晩泊めてもらうことに。

仕事が終わり家に着くと、たった1日の滞在に

もかかわらず、私のためにサンダルを買ってお

いてくれて、普段は寝る前の入浴なのに義母が

お風呂を沸かしてくれていて、お酒に、好物の

しめ鯖やたくさんの肴を出してくれる、至れり

尽くせりのおもてなしでした。

だんだん実家よりも、義父の家の方がくつろげ

るようになりました。

 

義父は、私達をいつも応援してくれて、転職を

相談した時にも『それはいい、応援するよ!』

と優しく背中を押してくれました。

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妻の病が進行してしまい、緩和ケアが必要にな

ったため、義父の家で在宅介護をさせてもらい

ました。

介護の甲斐もなく、妻が息を引き取った時には

涙しながら『待ってろよ!すぐに(逢いに)行く

からな!』と、何度も。

葬儀を終えて、私が自宅に戻ろうとすると引き

留めてくれて、『遠慮しなくていいよ、親子で

しょ?』と。

とっても温かくて、有難い言葉でした。

 

その義父が、昨年末に亡くなりました。

云っていた通り、すぐに妻に逢いに逝ってしま

いました。こんな有言実行はつらすぎます。

 

昨年は生涯で最もつらい年でした。

春に妻を失い、姉を失い、そして義父までも。

心にぽっかり穴が開いてしまって、しばらく、

何をしても、何も感じませんでした。

 

義父の遺影は、お嫁さん(義娘)から貰ったお気

に入りのピンクのシャツを着て、笑顔でピース

をしていました。

最期まで人を悲しませたくない、笑わせてあげ

たい、そんな優しい義父の想いが伝わってくる

ようでした。

 

義父さん、これまで本当にありがとう。

貴方に出逢えて、いつも応援してくれて、励ま

されて、支えられ、今の私達家族があります。

ありがとうございました。

 

人生の転機、あの時があったから今がある。

 

            本日は、この辺で。