家族との愉しい想い出をひとつひとつ紡いで!
前回は、進学、就職、そして結婚にいたるまで
の話でした。
2人の新生活は、築40年くらいの社宅で始ま
りました。ある豪雨の夜にはなんと雨漏りも😂
妻は欲しい本を我慢して図書館通いをしたり、
ちらしを見て少しでも安いスーパーに行ったり
して、家計を切り詰めてくれました。
3ヶ月して妊娠が判った時には嬉しくて、日々
大きくなっていくお腹に話しかけていました。
妻のつわりは重く、階下の魚の焼く匂いやご飯
の炊ける匂いが駄目になり、食も細くて、唯一
美味しく食べられるパイナップルを口の中が切
れるくらい夢中で食べていました。産まれてく
る長女がパイナップル好きとは知らずに…😁
長女は抱いていないとよく泣く娘だったので、
妻はひどい肩こりや腱鞘炎になり、私が仕事で
いない時には、孤独を味わい育児疲れで、元気
がなくなっていました。今、思うと、妻のこの
つらい時と、私が仕事でつらい時期が重ならな
くて良かったと思います。
長男が産まれる頃にはママ友もできて、長女の
おしゃまな話しで気が紛れて、すっかり元気で
強い母親に変身していました。
公園で遊ばせたり…3輪車に乗せて…自転車を押
してそっと手を離して…愛情をたっぶり受けて
すくすくと育っていきました。
長女が小学校に入学する春に、九州に転勤とな
り、長男が好きだった500系に乗って、途中
京都で観光をしながら、愉しい引っ越しをしま
した。
子供達は、大自然豊かな火の国で、のびのびと
遊び、バンガローに泊まったり、キャンプ用品
をひとつずつ揃えてキャンプに行ったり、釣り
をしたり、お気に入りのジャズが流れる居酒屋
で焼き鳥を食べながら話をしたり、家族の愉し
い想い出がひとつひとつ増えていきました。
月日は流れ、私はある事業を任されて、石川県
へ転勤することになり、長女はオーストラリア
へ留学し、長男は他県の大学へ進学が決まり、
一気に離散家族になりました。
しかし、妻がオーストラリアに留学した時代と
違って、その頃には携帯が普及して、いつでも
子供達と会話ができたし、海外とSkypeで
TV電話ができたので、淋しくはありませんで
した。子供達は、家族から離れてみて初めて気
づくこともあっただろうし、いろいろな経験を
して成長できたと思います。
こうして私達はまた、夫婦水入らずの生活にな
りました。その後の話はまたの機会に…。
いつも隣にいてくれたから、今の自分がある。
人生の転機、あの時があったから今がある。
本日は、この辺で。