御堂筋が一方通行になった訳は?

正しいと思うことに真摯に取り組む強い信念が実を結ぶもの!

 

今日の空はどんより曇って、少し寒い朝を迎え

ています。なので、温かくなる午後に散歩をし

ようと思っています。

 

今朝、NHKのニュースを観ていたら『なぜ、

御堂筋が一方通行になったのか?』という報道

がありました。

大阪は数度しか行っておらず、御堂筋もウィン

ドウショッピング程度でしたので、大阪の中心

に幅44mの一方通行の6車線が南北に4km

も貫いているとは知りませんでした。

 

取材班が大阪府警に問い合せると『昔のことな

ので詳しくはわからない。当時の担当者であれ

ば判るかもしれない』…と😖

そこで、過去の映像を調べ39年前に交通規制

の担当者であった『古里清吉』さんのご子息に

取材することができたという。

残念ながら、ご本人は9年前にお亡くなりにな

っていました。



高度経済成長のさなか、マイカーブームにより

交通量が大幅に増加した1960年代。

御堂筋では渋滞や事故が頻発しており、さらに

大阪万博が間近に迫っていて、その対策が急務

だったそうです。

古里さんは『一方通行』を提案して、右折をし

やすくすることで車の流れをスムーズにできる

と考えたそうです。しかも、御堂筋を含む4本

の幹線道路を、南向きと北向きの一方通行にす

ることで懸念された渋滞も緩和できると…。

 

しかし上司からは『お前、相当苦労するぞ』と

難色を示されたり、市役所の役人からも『とん

でもない。そんなことされたら市は黙っていま

せんよ』と脅すように反対されたそうです。

 

そこで古里さんは海外に目を向けて、一方通行

を実施している都市の実例を調べたのです。

『バルチモア』『オクラホマシテー』『フイラ

デルフィア』『ハリウッド』が一方通行に変更

することで、車の流れがスムーズになった効果

を実例で示して、行政や市民に理解を求めたの

でした。

 

1970年1月11日、大阪万博開催の2か月

前に、『一方通行』が実現しました。

その結果、事故が4割減少し、渋滞も3分の1

に減ったそうです。

 

古里さんは、その頃の日記に『これは大阪のた

めになるのだ』と書いていました。

難局を乗り越えようと、自分を鼓舞していたの

ではないかと思います。

己が正しいと思うことをやり続ける強い信念と

その実現に向けて、広い視野で真実を見極め、

人に真摯に向き合い、事実を以て説得したこと

が、実を結んだのだと思います。

 

完成した一方通行を観て、それまでの労苦に感

じ入り、感慨ひとしおだったことと思います。

 

それにしても、1人の警官が見事に成し遂げた

当時の偉業を大阪府警が『昔のことなので詳し

くはわからない。』というのは、なんとも灯台

元暮らしというか、残念なことですなぁ…😩

 

            本日は、この辺で。