『徳川家康』第12巻を読み終えて!

『争い』からは、『不幸』にこそなれ、何も生まれない!

 

退職後の夢の1つであった読書『徳川家康』は

第12巻を読み終えました。 

12巻目というと、束の間の泰平の世に、暗雲

が垂れ込み始め、『家康』が『豊臣家』を守る

ために、難攻不落の『大阪城』から『大和』へ

『秀頼』を移封しようとする善意が、『淀殿

側用人によって歪められ、再び疑念の渦が、

湧き上がり、大阪城に浪人達が集まり始めて、

大阪冬の陣』が勃発してしまうあたりです。

 

『家康』は、古希を過ぎて73歳になるまで、

天下安寧のため、老体にむち打って働き続けた

大変な一生涯だったと、つくづく思うのです。

 

江戸時代の平均寿命は、たかだか50歳といい

ますから、当時の73歳というと現在の90歳

を越えるような、相当な高齢と思われます。

 

戦場でいつ果てても、不思議ではないくらい、

身を粉にして、最後の最後まで『豊臣家』を守

ろうとした、不屈の英傑だったと。

 

彼の偉業とその平和への想いが、その後の世の

人々に浸透し、そのことが、260年続く時代

をもたらした所以だと思うのです。



一方の『淀殿』の生涯は、波乱に満ちた非業の

人生だったように思います。

伯父の『信長』と『木下藤吉郎 (後の秀吉) 』に

小谷城を攻められ、父『浅井長政』が自刃し、

『秀吉』に北ノ庄を攻められて、養父の『柴田

勝家』と母の『お市の方』が、落命しました。

 

それにもかかわらず、2重の宿敵であるはずの

『秀吉』の側室となり、『秀頼』を産むという

希有で非業な人生を歩んだ女性と思うのです。

 

時代小説によっては、身勝手で好色三昧な悪女

というレッテルを貼られてますが、どんな思い

で悲しみに耐えて、尋常ならぬ屈辱を受け入れ

たのかと思うと、切なく思えるのです。

 

誰もが『平和』を願うはずなのに、ちょっとし

た『思い違い』、『誤解』が、両者を遠ざけて

しまい、戦を起こしてしまう。

敗者は勿論のこと、勝者でさえも遺恨を残して

しまうという点では、不幸だと思うのです。

『争い』からは、『不幸』にこそなれ、何も生

まれないんです。

 

いよいよ残すところ、13巻となりました。

締めくくりは、じっくり読んで愉しもうと思い

ます。

 

            本日は、この辺で。