『活きて』『観て』『訊いて』、『愉しむ』!
日本語って、様々な表現がありますよね?
例えば『なく』という言葉も、子供が『泣く』
や、蝉が『鳴く』、そして鳥が『啼く』という
ように、外人からみると複雑で使い分けが面倒
かもしれませんね😁
『生きる』 と 『活きる』
昔、会社の先輩に『君は何のために働いている
のか?』と問われたことがあります。
私は即座に『活きるため』と答えました。
先輩は『生きるため』と解釈したようで『つま
らんなぁ』と云われましたが『さんずいの活き
る』とは伝わらなかったようです…😅
単に『生きる』では、息を吸っているだけでも
生きていることにはなりますが、私の意味する
『活きる』は、自分の持ち味を活かして、伸び
伸びと活きることなのです。
『見る』 と 『観る』、『聞く』 と 『訊く』
転職した頃から、資料などに『見る』『聞く』
と書くと、なにかピンとこない違和感を感じ始
めました。
単に『見る』では、ぼぅ~っとみてるだけで、
しっかりみつめるという気持ちが伝わっていな
い感じがするのです。
『聞く』というのも、ただ聞き流しているだけ
のようで、『聴く』は、耳を傾けている感じは
するのですが、しっかり心で捉えるという気持
ちが伝わってこないのです。
なので、その頃から『観る』、『訊く』という
言葉を使うようになりました。
間違っているかもしれませんが、
『観る』は、心の目でみること
『訊く』は、心で捉えること
という気持ちを込めて、使っています。
『楽しむ』 と 『愉しむ』
昨年の春、妻を亡くし、姉を亡くし、暮れには
義父が逝ってしまいました。
失意のどん底にいた時に、母方の叔父が電話で
慰めてくれて『愉しいことをしなよ』と云って
くれました。
この叔父の言葉からは『楽しむ』ではなくて、
『愉しむ』という暖かな気持ちが伝わってきま
した。
それ以来、『愉しむ』を心からたのしむこと
という意味で、このブログでも使っています。
昨年の悲しみは、一生癒えないと思いますが、
活きたかった妻や、姉や、義父の分まで
『活きて』『観て』『訊いて』、『愉しむ』
それが私の第2の人生にしたいことなのです。
本日は、この辺で。