『人は自分を映す鏡』を心に刻むこと!

『鏡に映る、理想の自分』になるには、人間修養が必要!

 

『人は自分を映す鏡』と云いますよね。

先日、学生時代からの友人と呑んでいて、あら

ためて痛感しました。

 

その友人は学生の頃『私の家族が、羨ましい』

と感じていて、時々、私が傷つくことを云って

いたと、すまなそうに語っていました。

小学生の時に、両親が離婚した不幸な境遇が、

彼を『羨望の虜』にしていたことは、気づいて

いたし、私に対する侮辱は、気にしないように

していたので、むしろ率直に話してくれたこと

を嬉しく感じました…😀

 

でも2軒目の店で呑んでいると、酔いが廻った

せいか、彼は再び、私を侮辱する言葉を発した

のです。おそらく、心では肯定すればするほど

出てくる言葉は、違ったのだと思います。

私は我慢しようと思いましたが、気持ちを抑え

切れず、『帰ろう』と云って、店を出ました。

 

ここ数日、悶々としていたのですが、私にも、

『原因』があるのでは…と思い直しました。

『人は自分を映す鏡』、彼という鏡に映る私に

足りていないものはなにか…。

『羨望』は、自分と比べて優れてもいないのに

家庭環境や、社会的立場などが、恵まれている

『相応しくない人』に対して、起こるものなの

でしょうね。

そうした外的環境は変えられないものなので、

『鏡に映る理想の自分』になるためには、

『相応しい人間』になるように、人間修養する

ことなのだろうと…。



徳川家康』の第7巻に出てくる『随風』とい

う風変わりな僧が云うには、

『こっちに闘心があればこそ、相手の闘心

をかき立てる。こっちでカンカンになって

いながら、相手に冷静であれと云うても、

無駄なことじゃ。

これは相手を抱かねばならぬ。抱き上げて

頬ずりして、その上で、語る真実ならば、

相手は害心なしに訊くものじゃ。

そう悟ってもはや15年…』

 

名僧でも悟るには、15年もかかるのですね。

まして凡人の自分には…😢

『鏡に映る理想の自分』になるには、まだまだ

人間修養が必要ですなぁ。

 

            本日は、この辺で。