『硫黄泉』に浸かりながら、頭に浮かんだこと!

『満たされない』よりも『満たされている』ことに目を向けては?

 

先日、高原の温泉宿で『硫黄泉』に浸かって、

椅子に腰掛けて、考えごとをしていると…。

 

『満たされないことより、満たされていること

に目を向けるとよいのでは?』

『できないことより、できることに目を向けて

自分を認めた上で、できるよう努力しては?』

という言葉が、頭に浮かんできました。

 

人間の『欲求』『欲望』は果てしないもので、

これまでの日本史を観ても、天下統一を成し遂

げた『豊臣秀吉』は、領土拡大に飽き足らず、

朝鮮出兵を断行したり、世界史でも、西欧諸国

の侵略、植民地化など、略奪を起こしました。

 

それは何も過去だけではなく、現在においても

『領土、海路を拡大したい』と、他国へ侵略を

したり、自国民を飢えさせておいて、何百発の

爆弾を他国の海域に落としたり、勝手に他国の

海域を埋め立てて、空港基地にしたり…毎日の

報道を観ていて『残虐な歴史を経ても、人間の

貪欲さは変わっていない』、『人間は、なんて

愚かな動物か』と呆れてしまいます…😞

 

ほかの動物は、生きるために必要なものだけを

得て、自身も食物連鎖の一部となり、生死を繰

り返していますが、人間は必要以上に欲しがり

『略奪と自然破壊』を繰り返しているのです。



反面、この『欲求』『欲望』があったからこそ

歴史的な発見や発明、新しい技術や、仕組みの

開発があって、現在の豊かで便利な社会が実現

しているし、個人レベルで云うと『こういう人

でありたい』という『欲求』が、人間性の成長

を促し、『自己の実現』がなされているので、

『欲求』『欲望』自体は、否定はしませんが、

これらの原動力が、より良くなる方向に変えら

れないものか?と思うのです…。

 

単純な思考かもしれませんが、その1つは、

『視点を変えて観る』ことではないかと…。

 

『欲求』の源の1つは、『ほかと比べて生ずる

羨望』と思うのです。

個人レベルでは、『貧富』、『賢愚』、『社会

的地位』を『ほかと比べ、生ずる羨望』と…。

世界レベルでは、これに『自国を守る』という

『欲望』が加わり、『領土、海路拡大』という

侵略に繋がっていくのだろうと考えます。

 

なので『視点を変えて』、比べる対象を変えて

みることはできないものかと…。例えば…

 

『人と比べず、過去の自分と比べてみる』

 

そうして冒頭の

『満たされないことより、満たされていること

に目を向けるとよいのでは?』

『できないことより、できることに目を向けて

自分を認めた上で、できるよう努力しては?』

という言葉が浮かんできたのです。

 

            本日は、この辺で。